
2007年、鹿児島の知覧を舞台にした物語が1本の映画になりました。「俺は、君のためにこそ死ににいく」。若くして命を国のために捧げた特攻隊員たちと富屋食堂の女主人である鳥浜トメさんとの交流を描いています。 舞台となった知覧には、特攻隊員たちの遺品やさまざまな関係資料が展示された資料館もあり、トメさんが営んでいた食堂も当時のように再現されています。
知覧特攻隊とは
昭和16年、鹿児島県知覧町に大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校され、多くの少年飛行兵・学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練を重ねていました。
しかし次第に戦局が悪化。
この敗勢を挽回する手段として、必死必中の体当たり攻撃が敢行されることになり、知覧町は本土最南端の特攻基地となったのです。
これが知覧特攻隊です。
この基地に全国から集った1000人以上の若者が、国家的に組織された「自爆」攻撃の肉弾となって、尊い命を捧げました。

知覧特攻平和会館
- ■住所■
- 鹿児島県南九州市知覧町郡17881
- ■TEL■
- 0993-83-2525
- ■アクセス■
- JR鹿児島中央駅東口→鹿児島交通バス知覧特攻観音入口行きで1時間19分
- ■入館料■
- 大人500円・小人300円(中学生まで)
- ■休館日■
- なし
- ■開館時間■
- 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
↑知覧特攻平和会館の案内ページへ(画像をクリックしてください)
昭和50年に公園休憩所を利用して特攻隊の遺品館が設立されましたが、その後全国各地から訪れる人々が増え、また、多くの反響が寄せられたことから、昭和60年より2年計画で現在の特攻平和会館が建設されました。
ここには、若くして国に命を捧げた特攻隊員たちのさまざまな記録があります。
特攻前日に書いた両親への手紙や、1036柱の隊員の遺影、実際に使用されていた戦闘機などが広い館内に所狭しと展示され、戦争の悲惨さを今に伝えています。
「残された者からのコーナー」では、「特攻の母」と呼ばれた鳥浜トメさんなどの証言映像も見ることができます。
鳥浜トメ
鳥浜トメは、明治35年に坊津町に生まれました。
とても貧しい家だったため、学校に通うことができず文字の読み書きができなかったそうです。結婚後も身を粉にして働いてきたトメは、昭和4年、知覧の町に「富屋食堂」を開きます。知覧飛行場が完成した昭和16年には“軍の指定食堂”になり、毎日兵隊が訪れる活気のある店になりました。トメの優しい人柄に心を癒されたのか、若い兵隊の中でトメのことを「小母さん」と呼ぶ人が次第に増えていったそうです。しかしその後、戦況は悪化。
ついには「特別攻撃隊」が編成され、知覧飛行場がその出撃地になってしまいます。
地元から遠く離れて暮らし、いつ出撃命令が出るかもしれない若い兵隊たちを、トメは私財を投げ打って我が子のようにかわいがりました。
出撃の見送りのときに涙を流すことが軍によって厳しく禁じられている中、必死で涙をこらえながら「ご無事で行ってくださいね」と言うのが精一杯だったということです。
戦後、多くの人たちの協力のもと「知覧特攻平和観音堂」を作り、特攻隊員たちの墓標としました。また、ご遺族や生き残られた人たちが知覧を訪れたとき泊まるところがないと困るだろうという想いから、トメは旅館業を始めました。
それが「富屋旅館」の始まりです。旅館の一角で、トメは平和の語り部として特攻隊員たちのエピソードを交えて戦争の悲惨さや命の大切さを訪れた人に伝えていたそうです。
